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増原彬陽さん(まっさん)追悼のページ (2010/10/12

ひらき座の顧問で座付き脚本・演出家の
増原彬陽さんが、2009年10月3日に
逝去されました。謹んでご冥福をお祈りいたします。


増原彬陽氏を偲ぶ会
2010.2.7(日) 14:00〜16:00
本山・生協文化会館ホール


寄席文字の看板作製は
ひらき座発足の元になった
演劇講座仕掛け人でもある
秋元さん


まっさんが書いた
ひらき座台本の数々

まっさんが作った人形や
愛用の品々

司会は
吉田豊さんと
ひらき座の水谷朝子

実行委員長 田中義二さん

学生時代の友人
立川元継さん

人形劇団むすび座の
川村さん

安達元彦さん

たつの素子さん
ピアニストは安達さん

180人を越える参加でした

まっさん作詞『人生マーチ』
名古屋青年合唱団のみなさん

まっさんが最後に作詞した歌
『いとしい命に』

まっさん作詞のひらき座の
テーマソングともいえる歌
『冒険の心は花』

まっさんの奥様、みどりさん

参加者集合写真
写真をクリックすると拡大します
まっさんの追悼文集が
完成しました。2月7日
増原彬陽氏を偲ぶ会に
参加してくださった
みなさんにはお配り
しましたが、まだ在庫が
あります。ほしい方が
いらっしゃいましたら、
info@hirakiza.com
または052-751-9132(鵜飼)
までご連絡ください。
一冊1000円+郵送実費にて
おわけいたします。


ひらき座ホームページに寄せられたまっさんとも思い出、心に残る一言、まっさんへのメッセージを紹介します。
 この世の中に神なんて何処にもいない、神がいたら、加藤章さんもギターを弾いて歌っているし、まっさんも舞台に上がって元気な姿を見せている。石川さんや杉野君に対して優しかったまっさんがこの世を去ったのに、犯罪を犯すような奴がこの世の中に存在する事は絶対にあってはいけない。平和が1番、人それぞれ平凡でも笑って楽しく過ごせる人生であってほしいと願う。
 まっさんのいないひらき座の劇、今度初めて見ます。すごいさみしいです。まっさん、僕が一人前の社会人になれるように天国で見守ってよ。まっさんのためにも僕も健全な生活心掛けますよ
まっさんは私たち姉妹にとって、偉大なる先生であり、父のような存在でした。
たくさんのことを学び、成長する過程でざまざまな影響を受けました。
「学ぶ」ことと「表現する」ことは生きることにとっても必要だと気付かされました。
まっさんに直接聞くことは出来なくなったけど、まっさんが表現してきたものをこれから改めて見て聞いて読んで、自分の肥やしにしたいと思います。
《小学校低学年からひらき座に参加していた現OGの姉妹より》
っさんへ、
 突然のことで驚いています。ご冥福を心よりお祈りいたします。まっさんに、会わないまま十数年が過ぎてしまいました。毎年案内を頂いたのに、お会いするタイミングを失ってしまってごめんなさい。劇団を通じて大切なことを教えてもらったこと今痛切に思っています。
亡き娘に一度でも観せておくべきだったと。バイタリテイな笑顔を忘れません。色々と苦労されたのでしょうが、確実にみんなの心に生き続けます。ゆっくり休んで下さいね。そして天国で、私の娘に沢山話を聞かせてあげてください。     
人業劇団ひらき座の皆様へ

住所が変わったこともあり、人生の師と仰ぐ増原彬陽さんが亡くなっていたことを知りませんでした。

まだまだ学ぶことがたくさんあったと思っています。本当に残念です。
ひらき座の皆さん

増原彬陽さんがお亡くなりになったこと、年長友人の方から昨年暮れに聞きました。
現在北海道にいることもあって、情報が遅れての反応となりました。
増原さんとは、学生時代に「劇団新生」を通じてささやかで重要な邂逅があり、後年、社会教育(青年教育)の場でも
幾度かお会いし、お話しをしました。
北の地からご冥福をお祈りします。 Y.A
まっさんの出会いは、俺が16歳の少年の頃、
あれから付き合いは19年、まっさんはなぜか
プロ野球の広島カープとプロレスファン、
よくまっさんには広島カープのグッズや
プロレスグッズをプレゼントして、
少年のように喜んでいた。でも本当に喜んでいたのは、2000年の11月中津川のいとこが火事の被害に遭い、
一年後に中津川のいとこに義援金を寄付したこと、
2002年にひらき座の自主公演に火事で被害に遭った
親戚の方が見に来てくれてまっさんが親戚の方と
握手して御礼を言ってくれた事、親戚の方が
「みんなの一生懸命な姿が良かった、
貴重な体験をした」と感想をまっさんに言ったら
喜んでくれた事です。まっさんとの出会いは
僕の宝物です。まっさんの為に頑張ろうと思う。
この前の偲ぶ会は、人が一杯だった。
まっさんは偉大な人だ、誰からも
愛されているんだなぁと感じた。
人間、人間・・なんて素晴らしいものだろう  (2010/07/21 掲載)
高さ50mほどに積み上げられたマットレス。
その狭いスペースに五人ほどで立って、おしくら饅頭をする。
落とすか落とされるかだ。みな容赦がない。
僕は、押されることと土台が揺れることでバランスを失った。その瞬間が恐怖の絶頂だった。
そして目が覚めた。昨日浅い眠りのゆえか、そんな恐ろしい夢を見たことをはっきりと覚えている。

その夢の中では人々はみな無表情で寡黙だった。僕もまたみなと同じように心を閉ざしていた。
そんな僕に、「こら!何をだまっとるんだ!」と怒りの形相で僕に迫る人がいた。
その声の主は、昨年急逝された増原彬陽さんだった。それはとてもこわいまっさんだった。
夢の中の僕は、ただただその気迫に圧倒されていた。
だが、目覚めてから考えてはっと気づいた。自分が、ここ数日のつらい思いをじっと押し殺していたことを。
そして僕はまっさんに感謝した。

まっさんは、人間らしさが失われつつあるこの国の今にあって、信じられないほどの
人間味のあふれる人だった。あぶれものの僕をかわいがってくれた。
底辺で必死に生きるものに共感する心をもった人だった。
その視線は汗水たらして必死で生きている人々の視線に、ぴったりと重ね合わされていた。
知識人・文化人としてはめずらしいタイプの人。だから人を魅了する。

人間・人間・・人間ってなんて素晴らしいものなんだろう。
彼や彼の劇団の人たちと一緒にすごしているとそんな思いが心のそこから湧き上がってくる。
勇気と元気が充ちわたる。

夢の中にまできてくれてありがとう。まっさん。ずっとあなたのことは忘れません。  T.M
(2010/10/12 掲載)
突然の訃報にことばがでなかった。
お別れした御顔は、安らかで、どっしりと大きかった。
いつかゆっくりとお話したいと思いつつ、先延ばししてきたことが悔やまれた。

あれはいつから始まったのだろう。
藤前堤防に集まって、初日の出を祝い、加藤隆正さんの歌のあと、ひらき座のみなさんの太鼓や演舞で、
びしっと締めてもらうのが年初めのしきたり?になったのは。
みなでもちつきをして、ふるまわれて、おなかが一寸落ち着いた頃に、増原さんの出番だ。
できたてほやほやのおいしい燻製のソーセージやチーズが、ふるまわれる。
お手製の燻製ボックスを持ち込んで、日の出前から準備されていたのだ。
味をしめて、それを心待ちにする人が年ごとに増えても、決して期待を裏切らないように、さりげなく、
ふんだんに行きわたるよう用意してくださっていたことが忘れられません。
ほんとうにごちそうさまでした。

思い出した!はじめは、まだ藤前干潟が守られる前、「鳥も魚も唄おうか」の劇作の参考にお話し、
地元のおばさんとして、藤前のすま子さんが、出演してからだ。
あれから、毎年の冬の公演が、いつも何かと重なって見られなかったのだが、
あとで台本を読ませてもらい、増原さんの思いが、ものいわぬ鳥たちから、
ものが言えなかった人々、沖縄、韓国、アジア、ラテンアメリカと、
世界に広がっていることを、知っていた。

「人間が人間として生きられるように」との増原さんの思い、魂は、
ひらき座のみなさんが受け継いでくださるにちがいない。

私も、地球上の生きとし生けるものがその生を全うできるように、「いのちの声を聴こう」
とよびかけながら、増原さんの「魂」と交感できるのを愉しみにしよう。
増原さん、これからは、いつでも「お話」できますね、どうぞ、よろしく。
辻 淳夫@藤前干潟を守る会

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